こんにちは、shunsukeです。
今日で英語学習継続309日目。今日は英語ではないですが、ちょっと変わったことを少しご紹介します。
皆さんは飛行機に乗られて、機内サービスを受けたことはありますか。
実は昔から機内サービスは存在していたそうで、1930年代の飛行船であるヒンデンブルグ号と1970年代のボーイング747機にはグランドピアノがあるラウンジがあったと言われています。機内でグランドピアノの演奏が聴けるってなんか贅沢だなと思います。
今日も先日ご紹介したアユタヤ遺跡の中で特に重要な寺院の一つとされている「ワット・マハタート」の続きについてご紹介します。
もくじ
- ワット・マハタートの遺跡群について
- アユタヤ遺跡ついて
- ワット・マハタートについて
- さいごに
ワット・マハタートの遺跡群について
無惨な姿の仏像群とレンガ壁

先日少しご紹介しました仏頭や胴体部分が切り落とされた跡。
どうしてこのようなことになっているのかというと、アユタヤ王朝は1765年から2年間、侵攻してきたビルマ(ミャンマー)と泰緬戦争になったことで、徹底的な破壊を受け、それが今でも無惨な姿で残されているからです。
かなりの数の仏像が頭や胴体部分を切り落とされた跡があり、戦争の悲惨さ・虚しさ・儚さを後世に伝えているそうです。

聞いたところによると、胴体に関してはその周辺に散らばったものがあったことから、それらを集めて修復したそうです。現地で実際に見てみると、この周辺の仏像には頭が無いことから、粉々になってしまって修復不可だったのかもしれませんね。。
この写真のレンガ壁は、立体感と奥行き感を出していて見ていて飽きない場所でもあり、この段々になったレンガ壁なんか、崩れ方など仕事柄とても大好物です(笑)

整然と並ぶ仏像。頭は無く、胴体は修復されて取付られている個所もあれば、切り落とされたままのもあります。レンガ壁と頭が無い仏像のこのシチュエーションは、少し不謹慎ではありますが、こちらも僕はとても大好物です。
中央塔と点在する美しい遺跡群


崩れた個所もあれば、きれいにそのまま残っている個所をあったりと、歴史を上手く感じられる、とても良いバランスで残っているなと思いました。

これらは下地のレンガ柱。丸く角をそぎ落とさず、長短で積んでいき、積み終わったら上塗りする。今現在、月日の経過とともに上塗りしたものは剥がれ、レンガのみになっていますが、最初からこのレンガのままでもよかったのではないかと思わずにはいられない、そんな造りとなっています。
菩提樹の根に覆われた“奇跡の仏頭”

特に有名なのはレンガ壁に大きな菩提樹が絡み合うように生え、木の根元にある仏頭。
先日ガジュマルの木とご紹介しましたが、菩提樹でした。すみません。
ガジュマルは菩提樹の親戚です。
こちらは “Buddha Head in Tree Roots” という英語訳をされています。夕暮れの日時になると、穏やかな陽光がお顔に差し込むとのことです。

この木の根元にある仏頭は、アユタヤ観光の見どころの一つ。古都アユタヤを世界中の人々に知って頂く存在となっています。
戦争によって切り落とされた仏頭が、菩提樹が長い年月をかけて持ち上げたとされています。
良く見ると左右傾くことなく、まっすぐと保たれた仏頭。自然になったものでしょうが、、なんだか不思議で神聖な力を感じます。

人々に「奇跡の仏頭」として愛され、多くのタイ人が祈りを捧げに足を運ぶ聖地。自然の力を借りてすくすくと育った菩提樹(良く枝が絡み合ってます)と、それに支えられるように覆われた仏頭が、優しく微笑む姿がどこか愛らしく感じます。
※仏頭の前で写真を撮る時は、仏頭よりも自分の頭が低くなるよう座って写真を撮ることがマナーだそうで、何も調べずに旅をする僕は、そんなマナーも知らずに撮影していました。
マナー違反、失礼しました。。
次回、最後の「ワット・マハタート」をご紹介します。そちらもお楽しみに!
前回の記事
こちらは前回の記事になります。もし気になる方はぜひご覧ください。
ワット・マハタートについて

ワット・マハタートとは
タイのアユタヤ遺跡の中で特に重要な寺院の一つとされている「ワット・マハタート(Wat Phra Mahathat)」。アユタヤ王朝初期の頃に建設された寺院の一つだそうです。
ワット・マハタートがいつできたのかというのは、複数の説があります。一つは1369年にラーメスアン王が建てたというものです。また、1370年から約20年かけてボロムラーチャー1世が仏舎利として最初に手掛けたというものがあります。僕にはどっちだか分かりかねますが、どちらにしても素敵なものが今世まで残っていることには変わりありません。僕はどちらでもいいです(笑)
アクセスマップ
アユタヤ遺跡ついて

アユタヤ遺跡とは
アユタヤとは1351年にウートン王によって建都されて以降、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市のことを指します。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ、17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。
素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街・アユタヤ。現代にその当時の姿をつたえる遺跡群は歴史公園として整備され、1991年にユネスコ世界遺産にも登録されています。
インスタ映えスポットが多数あるアユタヤ遺跡は、海外からの観光客で賑わっている公園です。
アクセスマップ
さいごに

いかがでしたでしょうか。
今日は「ワット・マハタート(Wat Phra Mahathat)」の一番の見どころでもある「奇跡の仏頭」についてご紹介しました。
このブログでは、自分で経験してきたことを、「知る・学ぶ」をコンセプトに様々なことを皆さんにお届けできたらと考えています。
これからもこのブログでたくさんのことをご紹介していきます。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 【コラム】アユタヤ遺跡の中で特に重要な寺院の一つとされているワット・マハタートについてVol.2 […]